お知らせ
- 放送終了後、「TVer」にて1週間限定で見逃し配信中! 過去の放送回は「BS11+」で配信中!
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『偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺』を「BS11+」で配信中!
⇒ご視聴はこちら - 【放送休止のお知らせ】11月15日(土)は放送を休止いたします。次回の放送は11月22日(土)です。
次回以降の内容
第115回「後白河法皇・院政を支持した清盛との対立」(11月22日放送)
「日本一の大天狗」とも称された後白河法皇の敗北から現代に通じる教訓を探る。1127年、鳥羽上皇の第四皇子として生まれた後白河は皇位継承の可能性が低く、少年時代から、当時、流行していた今様に熱中。しかし、29歳の時、突如、天皇となり、貴族政治の中心的存在となる。その後、保元・平治の乱を経て、平清盛が台頭すると、上皇となっていた後白河は清盛の助力を得て、42歳にして自身による院政を確立した。
1169年、出家して法皇となった後白河は清盛の協力を得て政権を運営していくが、朝廷内で清盛率いる平家一門の勢力が拡大すると、やがて、両者の間に亀裂が生じる。後白河が清盛と友好関係にある延暦寺と敵対すると、その溝はさらに拡大していった。そして1179年、清盛が治承三年の政変と呼ばれるクーデターを起こし、53歳の後白河法皇は幽閉されてしまった。後白河法皇はなぜ、政権の支持者と対立してしまったのか?
1180年、独裁政治を進める清盛に反発する声が上がり、源平合戦が勃発。その最中、後白河による院政が再開される。それから程なくして、清盛が病死。1185年、平家が滅亡し、源氏による鎌倉幕府の体制が確立する。貴族政治から武家政治に移行する大転換期に直面し、芸術文化の発展にも力を尽くした後白河は1192年、66歳で激動の人生に終止符を打った。後白河法皇の数奇な人生、そして、彼が生きた時代とは?
『偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺』
BS11公式YouTubeにて、毎週土曜日に配信中!
伊東潤先生への疑問・質問を大募集!
視聴者の皆様から寄せられた歴史にまつわる疑問・質問に、伊東先生がお答えします。
番組紹介
偉人たちの「敗北」「失敗」から、
学ぶべき教訓を探る!
偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく歴史情報番組。
出演者・スタッフ
進行・中西悠理(キャスター)
関西学院大学卒業。元岡山放送アナウンサー。
子供の頃から歴史漫画を読むことと戦国武将の絵を描くことが趣味で、前身番組の「偉人・素顔の履歴書」の番組MCを務めたことをきっかけに、改めて歴史の面白さを実感。
実生活では、頑固な性格(笑)が禍して失敗してしまうことが多いため、「自分に似た偉人を探してしっかり勉強したい」。好きな武将は、黒田官兵衛。
過去のラインアップ
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解説・伊東潤(歴史作家)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。外資系企業に勤務後、経営コンサルタントを経て
2007年、『武田家滅亡』(KADOKAWA)でデビュー。『国を蹴った男』(講談社)で「第34回吉川英治文学新人賞」を、『巨鯨の海』(光文社)で「第4回山田風太郎賞」と「第1回高校生直木賞」を、『峠越え』(講談社)で「第20回中山義秀文学賞」を受賞。そのほかにも文学賞多数受賞。最新作に『浪華燃ゆ』(講談社)がある。