第9回  上杉鷹山〜謙信と兼続の志を受け継いだ男〜山形・米沢

上杉鷹山〜謙信と兼続の志を受け継いだ男〜山形・米沢 第9回

「なせば成る なさねば成らぬ何事も 成らぬは人のなさぬなりけり」米沢藩第9代藩主・上杉鷹山が子息に教訓として送った言葉である。山形米沢藩は、「敵に塩」を送った義の武将「上杉謙信」の系譜を受け継ぐ名門であった。
しかし、減封に次ぐ減封。困窮する上杉家の藩政を立て直したのが17歳で家督を継いだ「上杉鷹山」であった。その手腕は、かのケネディ大統領も生前称賛していたという。しかし、その人生と藩政改革は苦難と失敗の連続。いかに強い意志を持って藩の立て直しに取り組んだのか。明治時代になって発見された誓詞にその内容が記されている。また、上杉家の家老「直江兼続」の功績を讃え、その意思を受け継いだ鷹山。農業や殖産興業の奨励が国の基礎であることを説き、灌漑整備や雪国に適した農作物、さらに食糧不足に陥った際に主食を節約するための食物本を刊行、後の大飢饉を救った。「米沢織」「成島焼」「笹野一刀彫」などは今も米沢の特産品として、伝統の技は受け継がれている。二百五十年の時を経てもなお、米沢の地に根付く農業や伝統工芸を受け継ぐ人たちにとって、上杉鷹山の教えとは?そして、米沢の市民だけではなく、海を越え大国の大統領すらも称賛する「上杉鷹山」とは?その真実に迫る。