第7回  上野~西洋文化はじめました

上野~西洋文化はじめました 第7回

文明開化という大きな波の中で、その最先端を走っていたのが東京・上野。その場所は、フランスの公園「ブローニュの森」を目指して作られた日本初の西洋様式公園でした。今回は、歌舞伎俳優・尾上右近が古地図を片手に上野の街の変遷を探ります。上野公園の一角にある顔だけの大仏。江戸時代初期に建立されたこの大仏は、かつては約6メートルの坐像でした。顔だけになってしまった理由とは。古地図を見ると、不忍池の形が時代によって異なることが分かります。明治時代には、不忍池は丸い形でした。その形には、西洋文化を取り入れて始められたある催しが影響していました。その催しとは。上野公園では明治時代、内国勧業博覧会が度々開かれ、新しい文化を人々に紹介していました。また、西洋の食文化も上野で花開き、カツサンドやハヤシライスなどといったメニューも上野から誕生したといわれています。そんな文明開化の地・上野の歴史を尾上松也と尾上右近が古地図から紐解きます。

古地図案内人:跡部蛮(歴史作家)