第11回  横浜 寒村が国際都市に変貌した理由

横浜 寒村が国際都市に変貌した理由 第11回

異国情緒があふれる港町・横浜。江戸時代初期の古地図を見ると、現在の横浜あたりは100戸ほどの小さな寒村でした。古地図の残る、現在の姿とは全く違う地形からは、横浜という名前の由来も知ることができます。黒船が来航した江戸時代後期には、幕府がアメリカから東海道に面し港として栄えていた神奈川湊を開港することを求められます。しかし幕府が開港地として選んだのは横浜でした。その理由とは。開港をきっかけに街が発展した横浜。開港当時の古地図を見ると、住んでいた人々の生活の様子を見て取ることができます。「関内」や「元町」など地名の由来も古地図に隠されていました。横浜の顔ともいえる中華街。ここに住んでいた人たちは街の発展にとって重要な役割を果たしていました。なぜこの地に中国人が集まってきたのか。横浜発展の歴史を、歌舞伎俳優・尾上松也と中村隼人が古地図片手にひも解きます。

古地図案内人:西川武臣(横浜開港資料館副館長)