第111回  元禄15年 赤穂浪士の見た景色~来迎院・岩屋寺・花山稲荷神社・関蝉丸神社~

元禄14年3月14日、播州赤穂藩の藩主・浅野内匠頭が、江戸城・松の廊下で吉良上野介に斬りかかる赤穂事件が起きた。喧嘩両成敗が常識であった当時、浅野内匠頭だけが切腹させられたことを不服とした赤穂浪士たちは、吉良邸への討ち入りを決意する。今回は、京都から江戸へと旅立った四十七士のリーダー・大石内蔵助が、最後に目にしたかもしれない京都の風景を案内する。
まず最初に向かったのは、泉涌寺の山内塔頭寺院である来迎院。内蔵助が茶の湯を楽しんだという茶室や内蔵助が自ら描いたと伝わる絵などが残る。来迎院と内蔵助とのつながりとは?
次に訪ねるのは、境内地に内蔵助の邸宅が建てられたという山科区にある岩屋寺。内蔵助の遺品や毘沙門堂に安置されている四十七士の木像など、赤穂浪士ゆかりのものを紹介。
続いて向かったのは、討ち入りの成功を祈願して鳥居を寄進したと伝わる花山稲荷神社。境内には、義士たちが決意を示す血判を押すために使ったとされる血判石も残る。
最後に向かったのは、古くから交通の要衝として栄えた逢坂の関に鎮座する関蝉丸神社。多くの旅人を見送ってきた神社に立ち寄り、かつてここから江戸へと旅立つ赤穂浪士に思いを馳せる。

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