第54回  近衛前久・公家の復権を夢見た戦国の関白

近衛前久 自らの意志で戦国の最前線に飛び込んだ関白・近衛前久の敗北から明日を生きるための教訓を探る。1536年、藤原五摂家の筆頭・近衛家の嫡男として生まれた前久は19歳の若さで関白に就任、室町幕府の再興と公家の復権を目指し、奔走する。最初に目を付けたのは上杉謙信。前久は謙信の関東平定、上洛作戦を支援すべく、現役関白でありながら東国に下向するという前代未聞の行動に出るが、作戦は失敗に終わる。

その後、足利義昭と対立し、京都を追われ、関白の座も剥奪される。流浪の日々の中、前久が出会ったのが圧倒的な軍事力を有する織田信長だった。前久は信長の天下統一事業に協力し、存在感を発揮する。ところが、1582年、本能寺の変が勃発、信長が横死したことで前久の運命も定まってしまう。前久はなぜ、室町幕府の再興と公家社会の復権という夢を叶えることができなかったのか?

信長の後継者となった豊臣秀吉が望んだのは、なんと関白の地位だった。しかし、関白は藤原五摂家から任命される役職。農民出身の秀吉がその座に就くことはできない。そこで秀吉は、前久に自分を猶子にするよう強く求めた。前久はその要求を断ることができず、秀吉は前久の猶子となり、武士として初めて関白に就任、やがて、天下統一を達成する。もし、前久が関白兼征夷大将軍になっていたら、歴史はどう動いたのか?