#10(終) 第四部 鳥羽伏見から五稜郭へ(後編)
盛岡に帰った大野は官軍との交戦を主張し、戦に破れると戦犯として幽閉された。貫一郎の息子・嘉一郎は、南部藩士の誇りを胸に、土方らが最後の地として選んだ函館へと旅立った。父の生き方を知った嘉一郎は涙し、父の汚名をそそごうと、南部の旗を掲げて官軍に突進していく。大正5年(1916)、貫一郎の次男・二代目貫一郎は初めて盛岡を訪れた。そこには彼が開発した冷害に強い「吉村早稲」の稲穂の海が待っていた。
盛岡に帰った大野は官軍との交戦を主張し、戦に破れると戦犯として幽閉された。貫一郎の息子・嘉一郎は、南部藩士の誇りを胸に、土方らが最後の地として選んだ函館へと旅立った。父の生き方を知った嘉一郎は涙し、父の汚名をそそごうと、南部の旗を掲げて官軍に突進していく。大正5年(1916)、貫一郎の次男・二代目貫一郎は初めて盛岡を訪れた。そこには彼が開発した冷害に強い「吉村早稲」の稲穂の海が待っていた。