2026/09/28 10:40
エンタメ総合
NEW さだまさし、倉本聰さんを追悼「さようならは言いません。先生またね」 『北の国から』でタッグ「大恩人でした」
さだまさし(C)ORICON NewS inc.
脚本家・劇作家・演出家の倉本聰さんが9月18日夕刻、多臓器不全のため自宅で死去した。享年91。倉本さんが理事長を務めていた財団が28日、発表した。倉本さんの代表作である国民的ドラマ『北の国から』の音楽を手掛けた、シンガー・ソングライターのさだまさしが28日、自身のインスタグラムで追悼した。
さだは、「倉本聰先生の訃報に接して」と題し、「せっかちで頑固で喧嘩っ早い倉本先生。大好きな紅葉も落葉も雪も待てずに秋の香りのする日に、ぷいっといなくなりました」と伝えた。「一途で不器用で芸に厳しい倉本先生。歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした」と、その英断に感謝した。
そして「最後にお目に掛かったのは「北の国から」放送開始45周年を祝った先月、八月九日の富良野演劇工場のステージでした。今思えば先生登場の時のこと。《暗転~照明濃度まで計算し尽くして、浮き上がるように現れ~五郎さんの『遺言』を朗読~ふわりと暗転してあっという間に舞台から去る》という、あのストイックな演出。今思えばあれが我々への格好良すぎる遺言でした」と最後に会った時を振り返った。
さだは、さらに自身の思い出を振り返ったうえで、「もう少し仕事でご一緒したかったです。さようならは言いません。先生またね」と結んだ。
■全文
倉本聰先生の訃報に接して
せっかちで頑固で喧嘩っ早い倉本先生。
大好きな紅葉も落葉も雪も待てずに秋の香りのする日に、ぷいっといなくなりました。
一途で不器用で芸に厳しい倉本先生。
歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした。
最後にお目に掛かったのは「北の国から」放送開始45周年を祝った先月、八月九日の富良野演劇工場のステージでした。
今思えば先生登場の時のこと。
《暗転~照明濃度まで計算し尽くして、浮き上がるように現れ~五郎さんの『遺言』を朗読~ふわりと暗転してあっという間に舞台から去る》という、あのストイックな演出。
今思えばあれが我々への格好良すぎる遺言でした。
教わったことが沢山あります。
叱られたことも一杯あります。
褒められたのはたった三つ。
「はかぼんさん」という小説と、わざわざ詩島まで来て、子どものようにはしゃいで羨ましそうに褒めてくださったあの時。
あと一つはNHK紅白歌合戦で「北の国から」を歌った時でした。
よほどNHKとの大喧嘩が胸に残っていたのでしょう。
「良くNHKが許してくれたなあ。でかした!!」と嬉しそうでした。
まるで僕が先生の仇を討ったみたいでしたけど、あれ、NHKからのリクエストだったんですよ(笑)
「北の国から」を500話まで書いてくださいとお願いしていたのに、書いてくれたのかな?
詩島が気に入ったら島に籠もって「西の国から」を書いてともお願いしたのに書いてくれたのかな?
もう少し仕事でご一緒したかったです。
さようならは言いません。
先生またね。
さだまさし
そして「最後にお目に掛かったのは「北の国から」放送開始45周年を祝った先月、八月九日の富良野演劇工場のステージでした。今思えば先生登場の時のこと。《暗転~照明濃度まで計算し尽くして、浮き上がるように現れ~五郎さんの『遺言』を朗読~ふわりと暗転してあっという間に舞台から去る》という、あのストイックな演出。今思えばあれが我々への格好良すぎる遺言でした」と最後に会った時を振り返った。
さだは、さらに自身の思い出を振り返ったうえで、「もう少し仕事でご一緒したかったです。さようならは言いません。先生またね」と結んだ。
■全文
倉本聰先生の訃報に接して
せっかちで頑固で喧嘩っ早い倉本先生。
大好きな紅葉も落葉も雪も待てずに秋の香りのする日に、ぷいっといなくなりました。
一途で不器用で芸に厳しい倉本先生。
歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした。
最後にお目に掛かったのは「北の国から」放送開始45周年を祝った先月、八月九日の富良野演劇工場のステージでした。
今思えば先生登場の時のこと。
《暗転~照明濃度まで計算し尽くして、浮き上がるように現れ~五郎さんの『遺言』を朗読~ふわりと暗転してあっという間に舞台から去る》という、あのストイックな演出。
今思えばあれが我々への格好良すぎる遺言でした。
教わったことが沢山あります。
叱られたことも一杯あります。
褒められたのはたった三つ。
「はかぼんさん」という小説と、わざわざ詩島まで来て、子どものようにはしゃいで羨ましそうに褒めてくださったあの時。
あと一つはNHK紅白歌合戦で「北の国から」を歌った時でした。
よほどNHKとの大喧嘩が胸に残っていたのでしょう。
「良くNHKが許してくれたなあ。でかした!!」と嬉しそうでした。
まるで僕が先生の仇を討ったみたいでしたけど、あれ、NHKからのリクエストだったんですよ(笑)
「北の国から」を500話まで書いてくださいとお願いしていたのに、書いてくれたのかな?
詩島が気に入ったら島に籠もって「西の国から」を書いてともお願いしたのに書いてくれたのかな?
もう少し仕事でご一緒したかったです。
さようならは言いません。
先生またね。
さだまさし











