次回以降の内容
第71回「吉良上野介・怒りの矛先となった忠臣蔵の敵役」
(12月14日 土曜日 よる9時00分放送)
赤穂浪士の討入によって命を落とした吉良上野介の敗北から現代に通じる教訓を探る。1641年、幕府の儀式や典礼を司る高家旗本・吉良義冬の嫡男として江戸に生まれた上野介は18歳の時、米沢藩主・上杉綱勝の妹と結婚、43歳で高家肝煎に就任する。上野介は三河国と上野国に計4200石の所領を有し、三河の吉良では治水事業や新田開発などを手掛け、領民に慕われた名君であったと伝えられている。
ところが、61歳の時、江戸城松の廊下で勅使饗応役の赤穂藩主・浅野内匠頭に突然、斬り付けられ、傷を負ってしまう。内匠頭は即日切腹となるが、上野介はお咎めなしだったこともあり、内匠頭の家臣らの恨みを買うことに。そして、刃傷事件から1年9カ月後、大石内蔵助率いる赤穂浪士が吉良邸討入を決行し、上野介は首を取られてしまう。上野介はなぜ、自らの命を守ることができなかったのか?
吉良邸討入から約50日後、赤穂浪士46人が切腹に処せられ、亡き主君のもとに旅立った。その日、吉良家にも改易という厳しい処分が下された。幕府が吉良家に断罪を下した背景には、無視することができない世間の声があったという。信濃に配流となった吉良家当主・義周は3年後、21歳の若さで他界、この時、高家としての吉良家は断絶した。家名断絶という悲劇を招いた上野介。しかし、この後、さらに大きな敗北が待っていた!
『偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺』
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伊東潤先生への疑問・質問を大募集!
視聴者の皆様から寄せられた歴史にまつわる疑問・質問に、伊東先生がお答えします。
【再放送】
第7回「柴田勝家・賤ヶ岳の明暗を分けた秀吉との差」
(12月25日 水曜日 よる8時00分放送)
番組紹介
偉人たちの「敗北」「失敗」から、
学ぶべき教訓を探る!
偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく歴史情報番組。
出演者・スタッフ
進行・中西悠理(キャスター)
関西学院大学卒業。元岡山放送アナウンサー。
子供の頃から歴史漫画を読むことと戦国武将の絵を描くことが趣味で、前身番組の「偉人・素顔の履歴書」の番組MCを務めたことをきっかけに、改めて歴史の面白さを実感。
実生活では、頑固な性格(笑)が禍して失敗してしまうことが多いため、「自分に似た偉人を探してしっかり勉強したい」。好きな武将は、黒田官兵衛。
過去のラインアップ
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解説・伊東潤(歴史作家)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。外資系企業に勤務後、経営コンサルタントを経て
2007年、『武田家滅亡』(KADOKAWA)でデビュー。『国を蹴った男』(講談社)で「第34回吉川英治文学新人賞」を、『巨鯨の海』(光文社)で「第4回山田風太郎賞」と「第1回高校生直木賞」を、『峠越え』(講談社)で「第20回中山義秀文学賞」を受賞。そのほかにも文学賞多数受賞。最新作に『浪華燃ゆ』(講談社)がある。