お知らせ
- 放送終了後、「TVer」にて1週間限定で見逃し配信中! 過去の放送回は「BS11+」で配信中!
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『偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺』を「BS11+」で配信中!
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次回以降の内容
第141回「龍造寺隆信・暴君と見なされた"肥前の熊"の実像と過ち」(5月23日放送)
島津氏、大友氏と共に「九州三強」の一角に数えられた龍造寺隆信の敗北から現代に通じる教訓を探る!1529年、龍造寺周家の長男として肥前に生まれた隆信は当初、僧侶の道を歩んでいた。ところが、17歳の時に祖父と父が主君の少弐冬尚に誅殺されるという大事件が発生。翌年、曾祖父・家兼が亡くなったことで還俗し、家督を継ぐと、31歳の時に少弐氏を滅ぼし、51歳にして肥前一国をほぼ支配する戦国大名となった!
その後、隆信は筑前、筑後、肥後など周辺諸国に侵攻し、勢力の拡大を図る。しかし、そんな中、肥前の島原を拠点とし、龍造寺氏に従属していた有馬晴信が離反!これに薩摩の島津氏やイエズス会が加勢し、隆信に対抗する姿勢を見せた。隆信は自ら大軍を率い、島津・有馬連合軍との決戦に臨む!ところが、兵力で圧倒的に優位だったにもかかわらず、隆信は戦場で討死を遂げてしまった!隆信は一体、どんな過ちを犯したのか?
隆信を討ち取った島津方の武将の子孫により大切に守られてきた隆信の脇差が佐賀県立博物館に収められている。島津氏は敵対した隆信を代々称え続けていたことが窺える。乱世を静めるべく、九州北部を席巻した隆信はイエズス会に敵視され、「暴君」と記されたことで、そのイメージが今日まで広く浸透してしまった。様々な史料から浮かび上がる隆信の実像とは?隆信の敗北から学ぶ教訓は...「力に頼り過ぎないことが大切」!
【アンコール放送】
第64回「松平容保・会津戦争を招いた藩主の決断」(5月28日 木曜日 よる11時00分放送)
幕末、京都守護職として尊攘派の志士たちと戦った松平容保の敗北から現代に通じる教訓を探る。1835年、尾張徳川家の分家である高須藩主・松平義建の六男として生まれた容保は12歳の時に叔父の会津藩主・松平容敬の養子となり、会津の家風に基づく教えを叩き込まれる。18歳で会津藩主となった容保は28歳にして、京都守護職に就任。八月十八日の政変や禁門の変では主導的役割を果たし、都から長州勢を一掃する。
十五代将軍・徳川慶喜が大政奉還を行った後、王政復古の大号令が発せられ、鳥羽・伏見の戦いに突入。旧幕府軍が劣勢に立たされると、慶喜は大坂を脱出し、江戸へ逃れる。この時、容保も慶喜に随行した。朝敵と見なされた容保は江戸を追われ、戊辰戦争最大の激戦となる会津戦争に臨む。容保は新政府軍を相手におよそ一カ月間、籠城戦を展開するも、白旗を上げざるを得なかった。容保は何故、新政府軍との戦いに屈したのか?
戦後、容保は身柄を江戸に移され、蟄居生活を強いられた後、日光東照宮の宮司に任じられた。さらに、会津戦争終結から20年目に磐梯山が噴火、500人もの死者を出す大災害が発生すると、容保は多額の義援金を密かに会津に寄付していた。人知れず、会津の民に寄り添い、鎮魂の祈りを捧げ続けた容保はその5年後、59歳で波瀾の生涯に幕を降ろした。時代に翻弄されながらも、逞しく生きた松平容保の魅力とは?
『偉人・敗北からの教訓・こぼれ噺』
BS11公式YouTubeにて、毎週土曜日に配信中!
伊東潤先生への疑問・質問を大募集!
視聴者の皆様から寄せられた歴史にまつわる疑問・質問に、伊東先生がお答えします。
番組紹介
偉人たちの「敗北」「失敗」から、
学ぶべき教訓を探る!
偉人たちがおかした「歴史的な大失敗」から、その背景、要因、影響などを読み解き、
偉人の人物像を浮き彫りにするとともに、今を生きる私たちの教訓としていく歴史情報番組。
出演者・スタッフ
進行・中西悠理(キャスター)
関西学院大学卒業。元岡山放送アナウンサー。
子供の頃から歴史漫画を読むことと戦国武将の絵を描くことが趣味で、前身番組の「偉人・素顔の履歴書」の番組MCを務めたことをきっかけに、改めて歴史の面白さを実感。
実生活では、頑固な性格(笑)が禍して失敗してしまうことが多いため、「自分に似た偉人を探してしっかり勉強したい」。好きな武将は、黒田官兵衛。
過去のラインアップ
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解説・伊東潤(歴史作家)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学卒業。外資系企業に勤務後、経営コンサルタントを経て
2007年、『武田家滅亡』(KADOKAWA)でデビュー。『国を蹴った男』(講談社)で「第34回吉川英治文学新人賞」を、『巨鯨の海』(光文社)で「第4回山田風太郎賞」と「第1回高校生直木賞」を、『峠越え』(講談社)で「第20回中山義秀文学賞」を受賞。そのほかにも文学賞多数受賞。最新作に『浪華燃ゆ』(講談社)がある。